福嶋祐輔という青年

福嶋祐輔は1979年4月19日生れ。牡羊座ですね。血液型はO型。うん?ということは、今年もう33歳になられるのですか!いやー、見えない。(笑)実際、福嶋祐輔って、若いですよね。それも幼いとか、子供っぽいとかいうのではなく、はつらつとした若さが全く失われていない、永遠の青年、といった感じなんですよ。それはさておき、福嶋祐輔は横須賀の市会議員さんの長男として生まれたのでした。

親御さんの教育方針なんでしょうか、かなりのびのびと、すくすく育った福嶋祐輔は6歳の時、贔屓のプロ野球チームの優勝シーンを見て感動し、プロ野球選手になることを夢見て野球の練習を開始します。もともと運動神経に恵まれていたのでしょう。たちまち地元のジュニアで頭角を現し、走攻守の三拍子揃ったキャッチャーとして名門校スカウトの注目を集めるようになりました。

さて少年時代の福嶋祐輔、ジュニアでは、小学校の時と中学校の時に、全日本選抜メンバーとして、世界大会にも出場を果たしています。特に小学校の時の全日本選抜ではキャプテンを任されていましたし、中学の時は地元の軟式野球チームにも参加、ここでもキャプテンを務め、関東大会で優勝してしまっているのです。こうしたチームでキャプテンを任されるということは、野球の実力はもちろんですが、何より監督の目から見て、統率力、人格のバランスなどに優れていると判断されていたのでしょうね。

福嶋祐輔は、地元横浜の高校に進みます。実は元々は、尊敬する野球部監督の務める茨城県の高校に進む予定だったようですが、たまたま試合で目撃した名投手に惚れ込み、彼の球を受けるために横浜の高校に進んだのでした。そしてたちまち正捕手の座を掴み、あこがれのピッチャーの女房役となったのでした。文章で書くと実にさらっと、すいすいと進んでしまいますが、きっとものすごい努力の日々があったはずなのですよ。

二年生の時には福嶋祐輔の一年下に、今、メジャーリーグで大活躍している「怪物」投手が入学してきます。もちろんその時の正捕手は福嶋祐輔でしたから、あの「怪物」が甲子園で騒がれる直前まで、福嶋祐輔その人が、彼の球を受けていたわけです。ところがここで、思わぬアクシデントが福嶋祐輔を襲います。神奈川大会の試合中、右ひじの神経を断裂するという大けがを負ってしまうのです。結局甲子園の正捕手は後輩に譲ることになり、数多くの大学の名門野球部から誘いもあったのですが、彼は野球の道を断念することになったのでした。

 

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